※「IT(それ)」は、2024.11.20以降、「それ(sore)」に統合されています。以下のブログは、統合前のものです。
「悟りはただ一回だけの事件ではない。『[起信論]の語る[究竟覚]の意味での[悟り]を達成するためには、人は己れ自身の一生だけでなく、それに先行する数百年はおろか、数千年に亙って重層的に積み重ねられてきた無量無数の意味分節のカルマを払い捨てなければならず、そしてそれは一挙にできることではない」 と井筒俊彦は名著「意識の形而上学」で語ります。
このことをホロニカル心理学の言葉に換言すれば、次のようになります。
「悟りとは、一度、『IT(それ)』の働きに目覚めれば得られるようなものではありません。数千年に亙って多層多次元に蓄積されてきたホロニカル主体(理)の意味分析による自己及び世界の断片化を『IT(それ)』の働きによって粘り強く脱統合し、自己自身が真の自己に向かって深化していくことであり、この作業はとても一挙にできることではありません」
深化のプロセスを抜きにして一挙に悟ったと思う人は、一時的な心的インフレーションに陥っているだけと考えられるのです。
個性化を希求する「エス」に突き動かされた自己の存在が、代替不可能なかけがえなき個であることに自己自身が目覚めれば目覚めるほど、自己自身に内在化され、かつ、至るところに遍く働く超個的「IT(それ)」の働きに自己は接し、その都度、すべてが絶対無(空)の自己矛盾から生じている出来事であることに覚醒しながら真の自己に近づくことができます。
真の自己は、自己が拡大し、「IT(それ)」になるという心的インフレーションではなく、すべてが自己の極限において自己を圧倒的に越えた絶対無(空)に触れるときの自己といえます。
<参考>
井筒俊彦著.「東洋哲学 覚書,意識の形而上学― 大乗起信論の哲学」.中央公論社,1993年.p83.