「ただ観察」(6)

ホロニカル・アプローチの技法のひとつである「ただ観察」を使って、「今・ここ」「今この一瞬・一瞬」に、「我を忘れること」で自己と世界の一致のホロニカル体験を促進することができます。

「ただ観察」は、観察主体による思考の働きを一切やめようと意識的にコントロールすることではありません。むしろ思考をコントロールしようとせず、内外の出来事に対して、ひたすら、言葉を忘れ、ただすべてをあるがままに無評価・無分析的態度で観想することです。

まず深呼吸による身体感覚への焦点化から始めます。鼻からゆっくり吸って、口からゆっくり吐きます。呼吸が整ってきたら、音に集中します。するとこれまで以上にクリアな音の世界を感じられてきます。次に風や空気の流れや温度を感じます。

回数を重ねるごとに呼吸の出入りするごとに変化する胸、横隔膜やお腹などの身体感覚を感じたり、座っているお尻の感覚や足の裏の感じ、外的世界との接触面を感じやすくなっていきます。

思考が湧き上がってきた場合は、分析したり、評価したり、判断したり、何かしようとせずに、一歩引いた感じで、起きて来る体験プロセスをあるがままに意識するのを保持するように観想し続け、そのままプロセス自体が主客合一となって収斂していくのを待ちます。

どうしても雑念をコントロールしようとしたり、なんとかしようとしてしまう場合は、そうすると、どのようになるのかを、さらにあるがままに観想し続けることです。そして、こころのプロセスが向かう方向が、観察主体が無となって観察対象と主客合一のあるがままのに鮮やかな世界がやってきたところで終わります。

観察主体の思考が止まらず、観察主体が無となって観察対象と合一しない場合には、観察主体の観察対象と不一致になってしまう「今・ここ」における観察主体そのもののあり方を、そのまま観想していきます。そして主客の不一致感に観察主体が一致したところで終わります。

こうして「今・ここ」に覚醒していくと、観察主体が感情の激しい起伏に圧倒されていた状態から、自己と世界の不一致・一致直接体験に一喜一憂せざるを得ない出来事を、自ずと自由無礙に俯瞰できるようになっていきます。