「IT(それ)」(29):現実主体(我)との関係

直接体験を通して、外我が何かを観察対象として識別したり、内我が何かを観察対象として直覚する度に、非連続的に自己内に生起してくる外我と内我の複合的働きの機能的統合体が、現実主体(我)といえます。

しかしながら現実主体(我)は、デカルトが考えたような持続的な心的実体とは思われません。何かを識別・分節・分別する度に、あるいは何かを直覚する瞬間ごとに生起する主体的働きではあっても、我という固有の持続的な実体があるわけではないと考えられます。

しかし、もしも現実主体(我)が、その都度生起する働きとすると、自己と世界の出あいの直接体験は、バラバラの直接体験の切片ということになってしまう筈です。しかし通常、私たちは、明らかに昨日の我と今の我が微妙に異なっていても、そこに同一の自己として存在していることを感得しています。したがって、自己には、断面的現実主体の認識や直覚の断片な我の識別や直覚を、同一の身体的自己内の出来事として統覚的に統一する働きが内包されていると考えられます。ホロニカル心理学では、すべての総覧的絶対的統一の働きを「IT(それ)」としています。

しかも、「IT(それ)」は、自己のみならず、自己と非自己の世界との関係を総覧し統一的になるように意味づけながら、自己の自己組織化を促進しています。こういった働きがないと万物やすべての出来事が、バラバラになって離散している筈です。この世界は、確かに確実な現実世界として統合的に存在しているのですから、そこには、すべての出来事を総覧し統合する究極的な理の働きがある筈です。

したがって、「IT(それ)」とは、自己内に包摂されているだけはなく、自己超越的な理による働きといえます。

「IT(それ)」は、絶対無(空)から絶対有のこの宇宙を作り出している統一的働きであり究極の理といえます。