
「愚痴ばかり言っていて」と自ら語りながら、気にする人たちが案外多いものです。
しかし、愚痴が言いたくなると言うところに、その人が求めている何か本質的なものがあるものです。
したがって、ただ愚痴を言ってことをすますのでもなく、ただ愚痴を聞いてすますのでもなく、愚痴の奥にあるものを共に明らかにしていくことで、まったく新たな切り口が開かれてくることが考えられます。
愚痴を語りたくなる本源に、何か言葉にすることがなかなか難しいどうしても納得できない自己と世界の出あいに伴う自己違和的な不一致感を伴った出来事があると思われるのです。
対話とは、そのことを少しでも明らかにしていくためにあるといえます。