共創(1):共創的関係

メガネをかけるというとき、通常、私(現実主体)がメガネという物を耳に引っかけるために動かしたと考えます。しかし、よくよくこの出来事のプロセスを振り返ってみれば、私は、メガネという物を見た瞬間に、視力を補助する道具として歴史的に意味づられて形づけられてきた物として、私が意識的に判断する前に、すでに動かされていたといえます。この事実に気づくとき、私とメガネとの関係は、動かし動かされ・動かされ動いたという共創的現象が起きたと記述する方がより厳密な表現に思えます。

このことはもっと広く一般化できます。我たちの日常生活のほとんどは、動かし動かされ・動かされ動くといったように、あらゆるものとの共創的関係の中に半ば反射的に生きているといえます。

どうやら主体が客体を動かした思うのは、主体が事後的にそのように判断したと思うことによると思われます。