時と自己

自己が、瞬間・瞬間変化することを生き生きと実感するところに、自己は過去・現在・未来を感じることができるのではないでしょうか?

自己が無きところには,時もなくなるのではないでしょうか。

「今・ここ」に「時」を感じるところに、生死の戦いを一刻一刻繰り返している自己があると思われるのです。時と場所が生まれるところには、必ず自己があるのではないでしょうか。

したがって自己が無になる時とは、時の無であり、永遠となります。

自己の存在に関係なくあるとされる過去から現在、現在から未来へと直線的に進む時計のような時間は、人間が定義した機械的時刻であり、自己が実感している生きた時とは異なります。

実際、自己が時計を忘れ、“こころ”のままに生きている時の時の流れは、正確な間隔で時を刻む時計の時間感覚とは、全く異なっています。