非常識が常識の時代

AIと共創

常識」と呼ばれるものは、科学のように時を超えて一般化可能な普遍的価値を目指して共有されているわけではなく、特定の国・地域・民族・家族といった限られた共同体の中で形成されてきた、人と人、あるいは人と社会を媒介する習慣的な価値の枠組みであるといえます。ホロニカル心理学の観点からすると、常識とは、ある共同体に内在し、共有されているホロニカル主体(理)であるといえます。

しかし現代社会では、インターネットを通じて、世界各地の多様な価値観にいとも簡単に、しかも同時多発的に触れることができるようになりました。異なる常識にいやでもさらされる喧騒社会であるといえます。その結果、かつては半ば自明とされ、かつ社会的紐帯としての役割をもっていた「常識」というホロニカル主体(理)は、他者とのあいだでますます共有されにくくなっています。自分にとっての常識が、他の社会集団のみならず、他者には通用せず、むしろ「非常識」とみなされる場面が日常的になってきています。

言い換えますと、非常識が常識化し、常識が相対化されるという、価値の多元化・異文化共存の時代に、私たちは生きているといえます。

血縁・地縁・職縁など、かつて同じ常識を共有していたコミュニティは解体しつつあります。個人は、従来のホロニカル主体(理)に依存するだけではなく、異なる常識をもつ他者とどのように新たな関係性を築き、どのレベルで共通基盤をつくっていくのかを、誰もが問われる時代に入ったといえます。