フェルトセンスとホロニカル心理学

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フォーカシングで知られるユージン・T・ジェンドリンのいう「フェルトセンス」は、ホロニカル心理学の立場から捉え直すならば、「言語化以前の直接体験が内包している意味の含みを、身体が全体として感受している状態」として理解することができます。

ホロニカル心理学において、直接体験とは、自己と世界の出あいとしてその都度生起している出来事そのものを指します。その体験は、はじめから明確な概念や言語として把握されているわけではなく、むしろ、いまだ十分に分節化されていない意味の含みとして、身体的実感のうちに感受されていることがあります。フェルトセンスとは、このような未分化ではあるが確かに感じられている意味の全体的な含みに関わる概念であると考えられます。

この観点からすれば、フェルトセンスとは、自己と世界の出あいのにおいて生起している直接体験のうち、とりわけ身体的自己の側において感受される、曖昧ではあるものの方向性をもった実感であると位置づけることができます。すなわちそれは、単なる身体感覚ではなく、ある状況全体に対して、まだ言葉にはなっていないが、身体としてはすでに意味あるものとして受け取られている体験であるといえます。

このようにみると、ホロニカル心理学とジェンドリンのフェルトセンス論とのあいだには、明確な共通性が認められます。両者はいずれも、人間の体験を知的・概念的理解のみに還元することはできないと考え、言語化に先立つ体験過程そのものに固有の意義を認めています。また、変容とは単なる知的解釈の修正によって生じるのではなく、未分化な体験が新たな仕方で感受され、意味づけられ、再編成されていく過程において生起するという点でも、両者は深く通じ合っています。

しかし他方で、両者の理論的射程には重要な差異があります。ジェンドリンのフェルトセンス論は、主として、ある問題状況や生の局面に対して身体に感じられている未分化な意味の含みに焦点を当て、その含みが言葉や象徴へと開かれていく過程を重視します。これに対してホロニカル心理学は、そのような身体的含意を含み込みつつも、そこにとどまりません。ホロニカル心理学が主題化するのは、そうした直接体験が、どのような観察主体において、どのような自己と世界の関係として、一致あるいは不一致として立ち顕れるのかという、より包括的な生成論的・構造論的次元です。

したがって、フェルトセンスが直接体験に内包された意味の含みに主として関わる概念であるのに対し、ホロニカル心理学は、その直接体験そのものがいかなる場の構造において生起しているのかを問う理論であると整理できます。換言すれば、フェルトセンス論が身体化された意味の感受に重点を置くのに対し、ホロニカル心理学は、そのような意味の感受を含めた全体を、自己・世界・観察主体の関係構造のうちで捉えようとする立場であるといえます。

この意味で、ホロニカル心理学はフェルトセンスの意義を否定するものではなく、むしろそれを、自己と世界の出あいにおいて生起する直接体験の一契機として位置づけ直すものです。そしてそのうえで、身体的に感受される意味の含みが、どのような場において生じ、どのような観察主体によって受け取られ、どのような自己組織化へとつながっていくのかを問おうとします。したがってホロニカル心理学は、フェルトセンス論に対して、より関係論的であり、場の理論であり、さらに観察主体論を含む理論的枠組みであると位置づけることができます。