
私たちは「今・ここ」を生きています。しかし、この場所も、そこで営まれる暮らしも、今を生きている人々だけによって成り立っているわけではありません。私たちに先立って生きた無数の人々の営みが、この世界には織り込まれています。
私の周囲にあるパソコン、シャープペンシル、椅子といった人工物は、先人たちの智慧と技術が長い時間をかけて受け継がれ、つくり変えられる中で生み出されてきました。こうして文章を書き、何かを考えるときに使っている言語も、数えきれない人々の暮らしや交流の中で育まれてきたものです。私たちは、先人たちが残したものに囲まれているだけでなく、その営みを受け継ぎながら感じ、考え、生きているのです。
このような観点から「今・ここ」を見直すと、亡くなった人々は、現在の世界から完全に不在になったとはいえません。ここでいう死者の存在とは、その人の人格や意識が、死後もそのまま存続しているという意味ではありません。その人が生きたことによって生まれた言葉やもの、人との関わり、その影響が、姿を変えながら、今を生きる私たちの暮らしに働いているということです。
受け継がれるものには、温かな想いや豊かな創造もあれば、対立や差別、傷つきもあります。本人が意図して残したものばかりでなく、思いもよらなかった影響が、後の世代に及ぶこともあります。私たちが生きる「今・ここ」には、そうした歴史の光も影も折り込まれています。そして私たちも、受け継いだものを問い直し、ときにはつくり変えながら、次の世代へと手渡しています。
ホロニカル心理学の立場からみると、こうした先人たちの営みは、過去に閉じ込められたものではなく、自己と世界との出あいを成り立たせる場の働きとして捉えることができます。亡き人の言葉をふと思い出すとき、受け継いだ道具を使うとき、あるいは、誰が生み出したかも知らない言葉で自分の気持ちを伝えるときにも、先人たちの営みは、私たちの現在に関わっています。ここに、ホロニカル心理学から死者とのつながりを捉える、一つの視点があります。
死によって、その人と直接語り合い、触れ合うことはできなくなります。その喪失は、受け継がれるものがあるからといって、埋め合わせられるものではありません。それでも、その人が生きたことによって世界に生まれた働きまで、すべて消え去るわけではありません。誰のものか分からなくなった営みも含めて、死者の徴(しるし)は、ものや言葉、記憶や関係の中に受け継がれています。私たちの「今・ここ」は、先立った人々の生ともつながりながら、一瞬・一瞬、生まれているのです。