治そうとするのか、変わろとするのか、変わらなくていいのか

心理社会的支援においては、心的症状や問題が出現するようになる前の状態にまで治して戻りたいと願う人ほど、経験的には、なかなか変容が難しいように思われます。むしろ、心的症状や問題を契機に、自分自身や世界を変えることに向かう人ほど、より適切な自己や世界を自己組織化できるように思われます。

標準値からの統計学的逸脱を異常または病気と定義し、標準値に戻そうとする医学モデルと、心理社会的モデルの成長・発達モデルとの差異があるように思われます。

過去のトラウマ体験に拘泥し、視野狭窄的になって、ドツボにはまり、今・現在の出来事もすべて過去のトラウマ体験に囚われてしまう人が、過去のおぞましい体験から抜け出し、今・現在を未来に向かって希望をもって生きられるようになったとしても、決して過去のおぞましい体験が記憶から消えるわけではありません。もし、過去のおぞましい体験を想起しても、何も感じないようになるのを求めながら、何かに依存するか、解離・否認でもするしかなくなります。しかし、その代償も多く、そうした人生は生きづらいものとなります。

適切な自己の自己組織化とは、生きる場所がもつ一切合切の、苛酷で、支配的で、批判的で、悲哀に満ちた人生を自己自身に映しながらも、それを自己に抱え込みつつも、創造的な人生をひたすら求めて死ぬまで生きることにあると思われます。

しかしこの歩み方は実に繊細です。「元の自分に戻ろうとして治そうとすること」に拘泥しないものの、「新たな自分に変わらなくてはいけない」と拘泥しても困難に陥るからです。しかし、「私は私でいい」と思えたときに、負のスパイラルから抜け出すことができます。

ただいずれの場合にも共通しているのは、「理想の自己イメージ」と、「今・ここの自己」が相矛盾し対立を起こしていることです。こうしたときは、まずは、「今・ここの自己」における直接体験を自己照合の手がかりとし、「今・ここの自分」が、「ほんの少しでも腑に落ちる方向」をひたすら愚直に探しながら生きることが大切なように思われます。