実在(4):それ自身によってあるもの

哲学者の西田幾多郎は、実在について次のように語っています。
「私は論理と云ふものは、実在の自己表現形式と考へる。実在と云ふものは、それ自身によって有り、それ自身によって動くものである。それ自身によって有り、それ自身によって動くものは、多と一との矛盾的自己同一に於いて自己自身を有つものでなければならない。それは多に於いて基底を有つこともできない。一に於いて基底を有つこともできない。斯くの如く、多と一との矛盾的自己同一に於いて自己自身を有つものは、自己自身を表現するものである、自己表現に於いて自己を有つものである。自己表現に於いて自己を有つということは、表現するものが表現せられるものである。考へるものが考へられるものである、映すものが映されるものであると云ふことである、一言に自覚と云うことである。」(西田,1944 )。

歴史的・文化的な影響を受けながら自ら自己表現的に時々刻々と変化していく、自己言及的自己再帰的自覚されていく自己を有つものが実在と考えられるのです。