対話(3):ホロニカル心理学の視点

ホロニカル心理学でいう対話とは、コミュニケーションにおいて、自他が各々の自己と世界不一致・一致直接体験のせめぎ合いを繰り返しながら、そこに何か新しい意味と関係を生成し続けようとする無限の流動的プロセスのことを意味します。

対話では、刻々変化していく自己と世界の不一致・一致に伴う直接体験が常に自己照合の基盤となります。自己と世界(他者)との一致体験は、即座に不一致体験によって破られます。それだけに、お互いが一致を希求しあっていこうとする対話は、お互いの差異を無限に取り込むことによって、これまでの各々の自己の変容を自己組織化していくことになります。

いずれが正しいかを争うのではなく、お互いが新しい何かを共創していくコミュニケーションが対話といえます。

直接体験を自己照合の手がかりにするとは、一瞬・一瞬において一切合切を自己に写しあった場所的自己同士が共に自己と世界の不一致・一致の微妙な揺らぎを繰り返しながらも互いの折り合い点を希求しながら共創的変容を目指すことです。したがって対話で使われる言語の意味は、その都度、対話の文脈に沿って微妙に変容していきます

ここで留意すべき点があります。各々が背負っている社会的役割に基づく利害の調整、意思決定や判断を下すことを目的とした会話は、対話とは区別されるということです。こうした会話では、外我の内在化するホロニカル主体(理)が自己照合の基盤となっています。こうした会話で使用される言語は、刻々変化する社会的文脈を持つ生きた場からは独立した語義と文法を持っています。そのため対話と比較して共創性や流動性に欠けます。その結果、会話が不一致になる度に、その場ではすぐに結論を導き出すことが出来ず、一旦、所属する組織の上司と相談したり、その場を離れて熟慮黙考する必要が出て来ます。

ホロニカル心理学の内的対象関係輪でいえば、対話は、自他双方が内我による自己と世界(他者)との出あいに伴う不一致・一致の直接体験との自己照合的実感と対話軸を持った外我が外我自身が内在化してきたホロニカル主体(理)を自己と世界の出あいが一致する瞬間の内我の実感と一致する方向に変容されていくコミュニケーションといえます。

それに対して会議的会話の場面は、内我の直接体験の直覚を自己制御し、それぞれが外我に内在化しているホロニカル主体(理)の不一致・一致の折り合い点を探しあって行くような論理的な知的コミュニケーションになっています。

ホロニカル・アプローチが有効な被支援者が腑に落ちる変容を引き起こすときのコミュニケーションは、対話が優勢なときといえます。

見立てのための質問、性急に危機を乗り越えるためのよき社会資源を明らかにするための質問や介入方法を支援者が探るための質問ではなく、まずは被支援者自身が自らの十分に捉えきれていない直接体験を実感・自覚していくことをサポートし、直接体験の意識化と共有化のための質問の創意工夫が大切になります。