過度な医療化問題

現代では、「うつ」「トラウマ」「発達障害」といった概念がDSMICDなどの診断基準の普及によって頻繁に使用され、日常生活の困難を説明する言葉として広く使われるようになっています。DSMやICDは、クレペリン由来のカテゴリーによる疾病分類からスタートし、臨床症状と脳病理の関係を前提としている疾患の操作的な定義を求めて開発されてきたと学んできました。しかし、操作的に定義された疾病の多くでは、脳の病理学的所見は科学的にはまだ特定されておらず、病気の発症メカニズムも明らかになっていません。それ以上に、価値の多元化・多様化の進む現代社会では、異常と正常、障害と定型の境界そのものがますます曖昧化し、心理社会的統計学を使って平均からの逸脱度合いによって異常や障害を操作的に定義してきた基準自体の限界も明らかになってきている印象があります。

精神医学は、いつの時代も異常・正常の判断基準は、強く時代・文化の影響を受けてきましたが、今日の「うつ」「トラウマ」「発達障害」などの診断は、かつての時代以上に正常と異常の境界の曖昧化には触れないまま、グレーゾーンまで治療対象とすることを加速化させたことによって社会的混乱を招いているようにも思われます。

今日、医学的な治療の対象として拡大化してきた「うつ」「トラウマ」「発達障害」といった概念で説明される多くの事例では、人間の発達上における人間関係や社会的な環境の大きな変動要因が深く関与しています。それにもかかわらず診断基準そのものが西洋的な論理による科学的思考が普遍的であるという矛盾があります。その結果、最近の精神医学は神経生理学的な病理学的研究を一部の研究者が熱心に探究する一方で、そうした基礎研究との裏付けもないまま、心理社会的に問題とされる要因まで操作的に定義して疾病・障害の診断基準に取り入れてしまっています。その結果が、多くの人々が抱えている生きづらさが、薬物治療や精神療法の対象になるという社会現象を作りだしています。

しかし、事例の多くは、むしろ多層多次元にわたる複合的問題によって生じているのであって、薬物治療や精神療法だけで対応できるものではありません。そうした限界があるにも関わらず精神科医療がその市場を過度に拡大することは、この先、精神医療への信頼を失う危険性すらあるのではないでしょうか。

児童虐待が、医療だけで対応できないのは、その代表例です。児童虐待の影響は、多層多次元にわたる複雑な問題まで引き起こします。とても診察室、面接室、研究室、実験室で得られる限られた智慧だけでは対応できません。地縁や血縁のつながりの欠如と子育て環境の加速度的変質とともに、複雑で多次元の問題を抱えながらますます密室化していく閉塞した家庭環境の中で繰り返されています。児童虐待への対応の本質は、暴力、体罰、威圧・威嚇、否定などによって人を支配するパターナリズムとの闘いです。

といって、加害者となる保護者から子どもを分離・保護すれば解決するようなものではありません。保護主義的対応だけでは、保護者と子どもの修復可能性を安易に断念することを意味します。虐待通告のほとんどは、子どもの入院だけでは、頑固な悪循環を断ち切ることはできません。児童虐待への対応を強化するためには、加害者や被害者を含む包括的な子ども家庭支援が必要であり、家庭訪問支援などの生活の場を含む統合的なアプローチが求められています。

しかし、包括的な支援が必要な事例の多くは、問題が子ども自身に由来するように見え、複雑なトラウマの場合でも、問題の複雑さが医学的診断によって矮小化される傾向が強くなっています。重篤かつ持続的な逆境体験が明らかにある事例ですら、そうした縦断的な経緯には注意を払わず、DSMやICDといった操作的診断基準を手がかりにしてあたかもパズルを機械的にあてはまるような診断によって、不適切な生活環境の問題は看過され、ADHD、自閉スペクトラム、解離性障害、適応障害などの名だけが与えられていく風潮は、もはや看過できないレベルに達しています。また、大人の精神疾患の多くも、子ども時代からの不適切な養育や社会環境の影響について、もっと注目していくべきと思われます。自己の発達をもっと多層多次元なレベルで包括的統合的に理解するパラダイムのもとで、疾病や障害の概念を捉え直すべき時代に突入していると思われるのです。

生きづらさを抱える多くの人々を、医療だけに囲い込むことは避けるべきです。また医療に関わらない他の人々も、生きづらさの問題を過度に医療化し、医療だけに依存すべきではないと思います。

「相手の気持ちを推し量る力が弱く、人との相互交流が苦手」「注意が散漫で落ち着きがない」といった現象だけに注目し、医療機関への受診を安易に勧奨したり、受診先の医療機関でも、数回の診察や検査、限られた情報でもって、確定的な診断を下すべきではないと思います。精神現象に対する診断基準も、心身の関係さえ解明されていない現状を考慮するとき、歴史・時代文化、社会の変動との深い関係がある心理社会的問題の特徴のようなリスク要因までを精神医学的診断基準に組み込むことは控えるべきです。また心理社会的問題の累積が神経・生物学的な機能障害に至る経緯と、早期治療による効果の根拠が明らかになるまでは、心理社会的主観に左右される診断基準は過剰診断を生むだけと思われます。むしろ、大切なことは、医療での限界を見極め、医療を含んだ包括的かつ統合的な観点からの生きづらさへの対応を探求することが喫緊の課題と考えられるのです。

 

※ホロニカルマガジンの「カテゴリー一覧」の「閑談」では、ホロニカル心理学のパラダイムら生まれたエッセイを掲載しています。