内我による内的世界

外我は、直線的で不可逆的な時間と球体的な空間という舞台の中で、合意的外的世界を識別・判断し、認識・判断された世界の再構成を司っています。科学的論理や思考でもって自己や世界のことを考える現代人は、科学的な識別・判断基準を内在化した外我によって自己及び世界を客観的に生きることを良しとした生き方をしがちです。思考優位な外我的生き方といえます。

外我に対して内我は、外我が構成する世界とは異なる内的世界を直覚しています。その代表はです。外我の働きが弱まった夜の夢の世界が内我が活発化したときの内的世界です。夢の世界では、自他の区分や、過去と未来と現在の関係も融合したり混沌となった時空間での非日常的物語が刻々展開しています。内我の直覚する世界は、感性的で、非合理的で、身体感覚的で、超個的で、識別・区分が崩れた多元的世界が展開する超空間といえます。

昼間の日常意識では外我優位に生きている現代人も、就寝後は、内我の夢言語的な非日常的世界に生きています。厳密にいえば、起床時には、外我による意識活動が内我による活動より優位になっているものの、外我の意識は内我の無意識的な活動に深く影響を受けており、就寝時には、外我の影響があるものの内我優位の世界に生きることになります。

ホロニカル心理学では、外我と内我の関係の働きを考慮するとき、外我と内我による不一致・一致の繰り返しによる自発自展的対話のうちに、より両者が一致する方向に生きる方が、より適切な自己を自己組織化できると考えています。

夢言語的な内的世界を、病理的、非現実的、非合理的と一蹴する人がいますが、外我が理性を使って、内的世界を外的世界に一致させようとしても内的世界を司っている内我はそう簡単には外我には服従しません。場合によっては、数々の心身症状を引き起こすことすらあります。むしろ病理的、非現実的、非合理的と排除されるものにこそ、多層多次元にわたる生きづらさから新しい生き方を発見・創造する創造的な契機となる力が隠されていると考えられるのです。