
外我の言語は、内我の夢言語や身体感覚、感情に根ざした体験を、社会的に共有され、一般化された知性的な言葉へと変換しようとします。
例えば、眼前のバラを「バラ科バラ属の植物で、茎にトゲを持つものが多く、一重咲きから八重咲きまで多様な花形をもつ」といった辞書的定義で理解したり、「バラは世界各国で愛や美の象徴である」といった文化的意味として解釈したりするのは、外我による認識の典型です。
一方、たとえば、内我にとってのバラは、そのような一般化された意味ではありません。それは、失恋の日に手渡された一輪のバラであったり、トゲで指を傷つけたときの痛みを伴うバラであったり、あるいは亡き家族との記憶を呼び起こすバラであったりします。
このようなバラは、言語化される以前の身体感覚や情動、記憶、そして自己と世界との生きられた出あいと結びついた、その人固有の意味世界として存在しています。
ホロニカル心理学では、外我はこうした内我の体験を概念化・言語化し社会的知へと組み立てようとし、内我は自己と世界との直接的な出あいの中から、その人だけの意味を生み出し続けていると考えます。両者は対立するものではなく、相補的に働きながら、その人固有の「世界」を形づくっているのです。