「親の養育義務」から「親のケアを支える社会の義務」への転換

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「このまま子どもと一緒に生活していると、子どもを殺しかねない。子どものためにも、この子の幸せのためにも、施設で預かってほしい」と、保護者がそこまで切迫した状況に追い込まれたとき、その訴えを単なる「養育の放棄」「子どものネグレクトによる虐待」とみなすのではなく、子どもの安全と幸福を守るための切実な保護者からの援助要請として受け止め、必要な社会的養護を利用できる権利についても検討されてよいのではないでしょうか。それは、保育園などの子育て支援サービスと同様に、社会的養護を含む福祉制度を、保護者と子どもが必要に応じて利用できる権利として位置づけるという考え方です。

ホロニカル心理学の立場から見れば、子どもの養育を保護者だけの責任として閉じ込めることはできません。親子は、家族、親族、地域、福祉、教育、医療など、多層多次元にわたる関係のなかで生きています。したがって、保護者の養育力が限界に達しているとき、それは保護者個人の問題であるだけでなく、親子を包む「場」全体の支える力が不足している状態として捉える必要があります。

近年、世界の子ども家庭福祉では、親の養育義務を絶対視するのではなく、親のケア能力には限界があり得ることを前提として、社会がその不足を補完する「支援の権利モデル」が重視されるようになってきています。国連の「児童の代替的養護に関する指針」などにおいても、子どもが安全で安定した家庭的環境のもとで養育されることの重要性が示され、親が十分な養育を提供できない場合には、国や社会が家族を支援し、必要に応じて適切な代替養育を保障することが求められています。北欧諸国をはじめとする一部の国々では、保護者が限界に達する前に、レスパイトケアや短期的な家庭外養育を利用できる仕組みが整備され、虐待の予防や家族機能の維持という観点から活用されています。

こうした国際的な潮流を踏まえると、保護者の養育義務、保護者と子どもが福祉サービスを利用する権利、そして養育の放棄や保護者による権利侵害から子どもを守る責務との均衡を、より慎重に検討する必要があります。保護者の希望だけによって子どもの生活の場を決定するのではなく、子どもの意見や年齢、発達状況、安全、家族関係などを踏まえ、子どもの最善の利益を中心に据えて判断することが不可欠です。

日本では、保護者が子どもの養育の第一義的責任を担うことが強調されるあまり、保護者が養育できない、あるいは養育を続ければ親子双方が危険に陥るような状況にあっても、福祉サービスを求めることが「保護者としての失敗」や「養育の放棄」と受け取られやすい面があります。そのことが、保護者をさらに孤立させ、必要な援助を求めることを妨げ、結果として親子をより深刻な危機へ追い込んでいる場合もあるのではないでしょうか。

福祉サービスの充実した国々では、保護者が何らかの事情によって子どもを養育できないとき、あるいは家庭での養育をできる限り続けたいと願いながらも、それだけでは困難なときに、社会が不足する養育機能を補う仕組みを整えています。そこでは、親子を切り離すか、家庭だけで抱え込むかという二者択一ではなく、家庭を支援しながら、必要に応じて一時的・部分的・継続的な代替養育を組み合わせるという発想が重視されています。

ホロニカル心理学の立場からいえば、子どもを施設や里親家庭などに一時的または継続的に預けることは、必ずしも親子関係を否定することではありません。むしろ、家庭という場を、より広い社会的な養育の場へと開き、親子関係を破綻や暴力から守るための選択となり得ます。保護者が限界を率直に表明し、助けを求めることのできる社会は、保護者の責任を軽くする社会ではなく、親子だけに責任を集中させず、子どもの育ちを社会全体で引き受ける社会です。

日本においても、子どもの最善の利益を中心に据えながら、保護者と子どもが必要な福祉サービスや社会的養護を、危機が決定的になる前から利用できる権利を、より積極的に保障していくことが検討されてもよいのではないでしょうか。