場所論

があってが創られるのではありません。
場があって生死の人生を歩む自己があるのです。
場は、自己のみならず、世界のあらゆる森羅万象の生成消滅の源です。
場は、あらゆる出来事の生成消滅が、永遠に不滅に繰り返されている舞台です。
場から生まれた場所的自己は、ある場所において自己と世界の出あい不一致・一致を繰り返す中で、自己と世界の一致を求めて、多層多次元にわたる自己と世界を自己組織化し、いずれ必ず自己の消滅によって場そのものになります。

我(現実主体)が無我となって、自己がそのまま生死の場を実感・自覚することが、もっとも客観的といえます。
生死の場の実感・自覚は、我(現実主体)による主語的認識の方向でなく、述語的方向に我が無我となって場所そのものと無境界となって可能になると考えられるのです。