多層多次元な意味をもつ人間の「自己」という存在について考えるとき、その自己を成り立たせている最も基底的な深奥なる自然の位相には、量子的な現象を含む物理的世界の規則性があります。さらに、原子、分子、生命を構成する諸階層へと視野を広げると、それぞれの階層において一定の法則や秩序のもとに現象が生成し、相互作用し、生命においては自己組織化していくことが知られています。
しかし、こうした物理現象や生命現象を成り立たせている理そのものを、ホロニカル主体(理)のすべてとすることはできません。ホロニカル主体(理)とは、ホロニカル心理学の概念です。出来事を多層多次元に生成すると同時に識別し、それらを関係づける、一定のまとまりへと組織化する「理」の働きを指します。この概念からすれば、物理的世界から生命に至るまでの現象を成り立たせている法則性や、生命にみられる自己組織化の規則性を、ホロニカル心理学では、自己や世界の生成に関わるホロニカル主体(理)のあくまで原初的な位相における「理」と位置づけることができます。
このような原初的な位相におけるホロニカル主体(理)は、特定の個人の経験や歴史・文化によって形成されたものではないという意味で、個々人の歴史や文化を超えて共有される、より一般的な位相として理論的に捉えることができます。しかし、原子、分子、細胞、組織、個体という生命を構成する諸階層へと展開し、さらに人間のレベルまでに至ると、家族、地域社会、国家、民族、文化などの社会的・文化的との複雑な位相が生まれ、それぞれの位相に固有の関係や秩序が立ち顕れます。ホロニカル心理学では、ホロニカル主体(理)は、こうした多層多次元な関係を包摂しながら、次第に複雑性と個別性を帯びていくと考えています。
とりわけ人間では、生命としての自己組織化に加えて、自己と世界について考察することを可能にする言語や自己意識が発達します。そして、家族、他者、社会、歴史、文化などとの関係のなかで、自らの自己組織化のあり方そのものを変化させていく新たな位相が立ち顕れます。人間のホロニカル主体(理)は、原初的な自然の理を失うのではなく、それを自己のうちに包摂しながら、歴史的・文化的な影響を受け、一人ひとりに固有のものへと個性化していくと考えられるのです。
人間の発達を例にとれば、受精卵は、生命進化の長い歴史のなかで形成されてきた遺伝情報を受け継ぎ、それを基盤として発生・分化していきます。ただし、その過程は遺伝子によって一義的に決定されているわけではありません。発生における遺伝子発現は、遺伝子制御ネットワーク、細胞間の相互作用、エピジェネティックな調節などによって動的に制御され、さらに個体の発達過程では環境との相互作用も重要な役割を果たします。したがって、生命は遺伝情報という基盤を受け継ぎながらも、それを単純な設計図として再現するのではなく、細胞、組織、個体と環境との複雑な相互作用のなかで、そのつど具体的な形態や機能を形成していく存在として理解することができます。
ホロニカル心理学では、こうした生命科学によって記述される生命の生成や自己組織化の規則性そのものをホロニカル主体(理)と同一視するのではなく、それらを生命的位相におけるホロニカル主体(理)を考えるうえでの自然科学的基盤として位置づけます。
さらに、人間は、身体や神経系の発達とともに、他者との関係や経験を通して自己を形成していきます。脳や神経系も固定的なものではなく、発達の過程を通じて経験や環境との相互作用のなかで変化していきます。そして、言語や自己意識の発達に伴って、家族や他者との関係、社会制度、歴史、文化などの影響を自己のうちに取り込みながら、より複雑な自己を形成していきます。
その過程で形成されるホロニカル主体(理)は、原初的な物理的・生命的な理を基底に包摂しながらも、それぞれの人が生きてきた身体的経験、対人関係、言語、歴史、文化などを反映した、固有の識別基準や自己組織化の理として立ち顕れることになります。
したがって、ホロニカル主体(理)の展開は、一般的・普遍的なものが失われ、単に個別的なものへ変わっていく過程ではありません。むしろ、原初的な一般性を包摂したまま、より多層多次元な関係のなかで分化・複雑化し、個性化していく過程として捉えることができます。
ホロニカル心理学では、人間の自己意識がさらに発達し、自らのうちに取り込まれてきた歴史的・文化的な識別基準そのものを俯瞰し、ときに脱統合・脱構築することが可能になると、それまで別々のものとして認識されていた自己と他者、部分と全体、個と世界の関係の根底に、それらが相互に関係し、包摂し合いながら生成しているホロニカルな関係を実感・自覚する可能性が開かれると考えます。
このような実感・自覚が開かれるとき、個性そのものの意味も変わってきます。個性とは、全体から切り離された孤立した特殊性ではありません。ホロニカル心理学では、全一なる絶対無(空)が自己限定することによって、多様な自己や世界が一瞬・一瞬の出来事として立ち顕れていると考えます。したがって、一人ひとりの個性も、全一なるものから分離して成立するのではなく、全一なるものが、それぞれ異なる身体、経験、歴史、文化、関係を通して、固有の個として立ち顕れたものと捉え直すことができます。
このことが実感・自覚されるとき、自己と他者、個と世界、部分と全体は、それぞれの差異を失って一つになるのではなく、それぞれが固有のものとして立ち顕れながら、同時に互いを切り離すことのできない関係のうちにあることが明らかになります。一が多として立ち顕れ、多がそれぞれの差異を保ちながら一との関係のうちにあるという、一即多・多即一のホロニカルな関係です。
原初的な物理的位相から生命的、心理的、社会的・文化的な位相へと多層多次元に展開してきたホロニカル主体(理)は、単一の普遍的原理へと還元されるのではありません。それぞれの位相の差異や固有性を保ちながら、その根底において、部分が全体との関係のなかで成り立ち、全体もまたそれぞれの部分を通して具体的に立ち顕れるという、一即多・多即一のホロニカルな理として実感・自覚されることになるのです。
したがって、人間におけるホロニカル主体(理)の発達と個性化とは、普遍から個別へと一方向に進む過程ではありません。それは、原初的な一般性を包摂しながら多層多次元に分化・複雑化し、歴史的・文化的に個性化するとともに、その個性化を通して、自己を含む森羅万象が、もともと部分と全体のホロニカルな関係のうちに生成していることを実感・自覚していく過程であると考えられるのです。