
「小より小さいけれども、大より大きい」という表現は、一見すると矛盾を含む逆説のように見えます。しかし、この種の言い回しは、古来より「ウパニシャッド」をはじめとする東洋思想において繰り返し用いられてきたものであり、通常の大小という尺度を超えた“根源的な働き”を指し示す比喩として理解することができます。そこには、主客の分離を超えたときに立ち顕れる実感、あるいは大きさという概念そのものを超えた次元の働きを言い表そうとする意図が見て取れます。
ホロニカル心理学の立場から見ると、この表現はまさに、「一瞬・一瞬のミクロの出来事が、宇宙的なマクロの働きに包摂されながら、その働きを自己という場において具体的な出来事として立ち顕れている」という“こころ”の働きを、別の言葉で表現したものといえます。
一人の人間が体験する一瞬・一瞬の出来事は、単なる個人的な現象ではなく、森羅万象の生成消滅の働きが、一人ひとりの自己を通して具体的な出来事として顕れている現象でもあります。だからこそ、一瞬・一瞬の出来事は極めて微細でありながら、同時に宇宙的な広がりを持つといえるのです。この二重性を象徴する言葉として、「小より小さいけれども、大より大きい」という逆説が成立するのです。
扱うカテゴリーは異なりますが、現代物理学にも響き合う相似的な考え方が見られます。量子場理論では、一つ一つの素粒子は、宇宙に広がる量子場の局所的な励起(波のような現象)として理解されています。私たちが観測する素粒子そのものは極めて微小ですが、その背後には宇宙全体に広がる量子場が想定されています。顕れるものは極小でありながら、その根底には宇宙的な広がりをもつ働きがあるという捉え方は、ホロニカル心理学が現代物理学と同じことを述べていることを意味するものではありません。しかし、顕れとその根底にある働きとの関係という点において、両者には興味深い類似性を見いだすことができます。
ホロニカル心理学では、部分(小)と全体(大)は分離した二者ではなく、互いに包摂し合い、互いを成立させ合いながら、一つの出来事として共創的に立ち顕れるホロニカルな関係として理解されます。そのため、部分と全体の関係は単純な大小の比較では測ることができず、多層多次元的・非線形な生成の働きとして捉え直されるのです。
したがって、「小より小さいけれども、大より大きい」という表現は、大小という直線的な尺度を超えた、別次元の広がりと深さを持つ働きを指し示す比喩であり、ミクロとマクロ、部分と全体が相互に包摂し合い、互いを成立させながら一つの出来事として立ち顕れるホロニカルな世界観を象徴する言い回しといえるのです。